ご質問ありがとうございます。
中々鋭いご指摘です。
仰るように、最近は、外視点の話しが多い(と言うかそればかり)と言うのは認識しております。
中視点の話が書きづらいかと言うと、そう言う訳では無いのですが、思いつく話しが、外視点の話ばかりというのが本当のところかも知れません。
仮に、中視点の話を思いついたしても、多分同時に外視点を思いついていて、そちらから書き始めてしまう、と言う感じですね。
で、まー1本書き上がる頃には次のストーリーを思いついていて、これもまた外と中を同時に考えたとしてもなんとなく外からの話しを書いてしまう。
こういう循環で今に至っています。
そう言う意味では、中視点が書きづらいと言うより、外視点が書きやすい、と言う表現の方が近いかも知れません(結果的には同じなんですけどね(汗
では、なんで外の視点の方が書きやすいのか、です。
それは多分、元々の私の原体験とか幼少の頃から感じていた着ぐるみの中に対する憧れみたいな物がベースにあるから、外からの話しの方が書いていてしっくりくるんですよね。
比較的年齢を重ねてからこの趣味に目覚めた人の中には、割と早い段階で中の人、を経験してしまう人も多い気がします。
すると、外から羨ましがっている時間、と言うのはその人の中では殆ど無く、最初からに近いぐらいに、中の人を経験する事が当たり前になっている気もするんです。
一方で、私は、小学生にもなっていない時期から、着ぐるみに憧れ、小学校高学年ぐらいになると美少女着ぐるみに憧れ、と、生きてきた70%ぐらいの時間を、外から見てるだけ、の人生として過ごしてきました。近年になり、なんとか自分でも着ぐるみを手に入れる事が出来て、改めて憧れだった中の人を体験する事が出来るようになったのですが、やはり昔からのトラウマとして植え付けられた羨ましい気持ちが、着ぐるみを想像するときに最初に思いついてしまうんです。
それに、ようやく着ぐるみを手に入れた、とは言っても、自分自身はあまり積極的に着ぐるみをする人間ではありません。
それも全て、子供の頃からの憧れとトラウマから来ているのですが(つまり、着ぐるみの中に入っていると言う事は、私にとっては特別な存在の人であって、周りに色んな人がいる中で、自分がその特権を手にしているのは申し訳ないと言うのがベースにあります。1人で誰にも気兼ねなく着るのであればいいのですが、ロケをしたいから撮影お願い、とか、どこそこのイベントに行くからカメラとかサポートをお願い、とかは、とても気軽にお願い出来ないのです。だって自分だけそんな特権的な楽しみを得る事になりますから、他の人達に申し訳ないですから。逆に、私自身は特定の人のカメラやサポートをお願いされても、基本的にお断りしてますしね)、それもあって、人の着ぐるみを眺めている事が、今でも多いんですね。
なので、今でも、やはり中に対する憧れは強くて、その結果、外視点の方が書きやすいんです(自分の感情をそのまま書いていけばいいのですから)。
とは言え、書かないとか書けないと言うつもりはありません。
今後も、機会があればそう言う視点の話しも書きたいという気持ちはあります。
もちろん、書くとなったら、きっと外の人を色々と虐めてみたいですよね。わざと苦しそうに振る舞ってみたり、わざと感じる事をし続けて、見てる人にあれこれ想像されてみたり。
自分のする演技によって、成人男性が望んでいないのに興奮してしまう様子を、美少女の中から楽しむんです。さぞ痛快だと思いますよね。
と言う感じでいかがでしょう?
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2012-05-24 00:21:13 |
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