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時間をさかのぼって、訓練初日の夜。
ここは食堂の隣にある広間。ドールアイズとの顔合わせを終えたサポートスタッフたちが、思い思いに過ごしている。彼らもドールアイズ達と同じく初対面どうしだったから、互いに自己紹介し合っていたり、かと思えば部屋に点々と配置されたソファに陣どってひとりで漫画を読んでいる人もいた。
壁ぎわのテレビの前に置かれたソファで、田辺はニュース番組を観るともなく眺めている。頭の中では彼がカエデを部屋へ送り届けた、ついさっきの光景が再現されていた。カエデの泊まっている部屋。ベッドに置かれた着替えの下着。それを見られて恥ずかしがるカエデ…
並んで座るアイドルたちを初めて見たとき、カエデだけに視線が吸い寄せられた。長い黒髪にぱっつりと切りそろえられた前髪。おしとやかなキャラクターが好きな田辺にとって、真面目で大人しそうな彼女のルックスは理想のものだった。ただ、彼は着ぐるみ好きではなかった。というより、これまでふれる機会が無くて好き嫌いの判断のしようがなかった。
彼がこのバイトを選んだ理由は、単純に給料が良かったからだった。それに、アイドル関係の仕事ならオタク趣味の話をできる人間が多いだろうというのもある。今回のような泊まりがけの仕事は、似たようなタチの奴が多いと気楽でやりやすい。だから、募集要項に書かれていた着ぐるみがどうのこうのなんて説明はロクに読んでいなかった。
キャラクターショーというものをなんとなく知っていても、わざわざ観に行くことがなかった。たしかに本来は二次元のキャラクターが自分の目の前にいる、となれば嬉しいかもしれない。けど、子供向けのごまかしなんかで感動するほどのものか?という疑問があった。果たしてそんな彼がどうなったか。
まず、自分と同じようなサイズの「人形」が、自分の意思で動いているということに驚いた。人形というのは自分よりずっと小さくて、じっと動かない「物」だという、これまでの常識が吹っ飛ばされてしまう。人が中に入って演じているのだから当たり前なのだが、間近で見るのが初めての田辺にはかなりの衝撃だった。
プラスチック製の大きな瞳に、ゴムのような、ツルツルとした肌。すべてが人工的なのに生々しく人間らしい動きをすることが、なんだか妙にそそるのだった。例えば、座り疲れて少し腰をよじってみたりとか、そんな些細なしぐさが「いかにも人形」な見た目とのギャップを強調する。そんな動きが見たくって、目が離せなくなるのだ。
顔合わせが終わってから、椅子から立ち上がれずによろめいたカエデを、田辺は考える間もなく抱きかかえていた。なんとかして近づきたいという気持ちでいっぱいだった。自分を突き動かしている衝動の正体は分からない。でもとにかく、彼女を支えたときの重みにリアルな存在を感じて興奮したのは確かだった。
集合が済むと、メンバーにそれぞれサポートスタッフが付いて部屋まで送り届けることになった。自分を含めたスタッフ3人は黙りこくってアイドルたちを観察し続けていた。みんなの気持ちもきっと自分と同じで、とにかく彼女たちと一緒に居たいのだなと田辺は思った。
近くで見るカエデたちの動きはやっぱり生々しい。だけど、よくよく見ていると、何かを我慢しているみたいにソワソワ落ち着きがない。全身を覆われて動きにくいし、マスク越しの視界もよくないはず。きっと、着ぐるみを着ていること自体が苦しいのだ。この子たちは知らない誰かさんを、着ぐるみという道具で飾りつけて作ったニセモノの人物なのだ、と田辺は思った。
着ぐるみが不気味と言われたりするのは、そういう嘘の部分を生理的に受け付けないからかもしれない。それを仕掛けている側の人間はマスクとスーツで素肌が完璧に隠されていて、こちらからは可愛いキャラクターにしか見えない。そういうことを許せるかどうか、人それぞれボーダーラインが違う。
自分にとって着ぐるみは許容範囲の嘘だろうか、と田辺は考えてみる。答えはもちろん「有り」だった。むしろ作り物でニセモノな部分にこそ、心を奪われた。マスクはいつも同じ微笑みをしている。じゃあ、その内側の表情は?どんな女性がカエデを演じているのか。すごく気になるのに何ひとつ相手のことが分からない。秘密が知りたくてしょうがなかった。
田辺はテレビや周りの仲間に対して上の空のまま、もう何分も夢心地でニヤけていたが、それを打ち消すように天井のスピーカーから館内放送が流れる。
『サポートスタッフの田辺君。応接室まで来てもらえるかな』
突然の呼び出しにドキリとする。なんだろう。しっかり送り届けますなんて言い訳して、強引にカエデの部屋の中まであがり込んだのがよくなかったか。冷や汗が噴き出してきて、彼はあたふたと慌ただしく広間を出る。
対面に座る篠田は機嫌よく笑っている。この人物はどこか見透かせない秘密を隠し持っているような印象がぬぐえない。駆け込む勢いで応接室へ入り、勧められるまま腰をおろした田辺はまだ肩で息をしている。
「おおごとではないから、そこまで急がなくていいのに。館内放送はちょっとやり過ぎだったかな」
どうやら叱られる訳ではなさそうだ。クビにでもなって、彼女と会えなくなってしまったらと考えて気が気ではなかったから、まずはホッとする。
「さて田辺君、単刀直入に聞くが、カエデのことが好きかい?」せっかく落ち着いてきた心臓が跳ねて、またしても鼓動が忙しくなる。カエデに対するひそかな思いが、すっかりばれていることが恥ずかしかった。だけどここで気取ったところで得られるものは無いだろう、と田辺は覚悟する。
「オレ、もともと着ぐるみとか興味なかったんです。お面をかぶってるだけでしょ、とか思ってて。カエデ…さんにはぐっと来るものがあって、好きなのか判断つかないけど、一緒にいたいとは思います」
鼻息荒く言い終えた彼に、予想通りの答えがもらえて喜ばしいといったようすで篠田は返す。
「よしよし、なら君は彼女の付き人をやってくれ。ずっと側にいて世話をするんだ。さっそく、最初の仕事に取りかかってもらおう」
篠田がうしろを見やりながら「アキ」と呼びかけると、入り口とは別の、隣の部屋に通じているらしきドアが開く。少年っぽい中性的な顔立ちをしたショートヘアの女性。Tシャツにスキニージーンズというラフな出で立ちだが、ほっそりとした体のラインが魅力的である。
「どうも」と無愛想に挨拶する声に、田辺はハッとする。透きとおって高いが、男の声だ。驚くと同時に訳もなくドキドキときめいている自分がいる。同性を相手にどうしてしまったんだろう。
「カエデの部屋へ行って、夜の世話…ってのを頼みたい。スーツに仕込まれたモニタリング機能によると、彼女はいま眠りについている」タブレット端末をチェックしながら篠田が言う。「手順はアキが説明してくれるから心配するな」
えっと、夜の世話…?あまりにも急な展開についていけず、田辺はあれこれ質問しようかと思ったが、アキという人物に無言で促されてすぐ応接室を出る羽目になってしまった。アキは少しも時間を無駄にしたくないという風に先へ先へ歩いていく。結局、声をかける間もないままカエデの部屋へたどり着く。
彼女はベッドにの上で仰向けに寝ていた。明かりが付けっぱなしで、脇にはワンピースは畳まれないまま放り出してある。着ぐるみマスクのニセモノの目は開いたままだから、本当に寝ているのか分からない。なんだか人形が仰向けにディスプレイされているみたいだ。呼吸に合わせて静かに上下する胸だけが、彼女が生きた人間だという証だった。
緊張する田辺をよそに、アキはテキパキとカエデのパジャマを脱がせはじめ、ブラとショーツも取り去ってしまった。一糸まとわぬ姿の彼女に動きだす気配はない。まぶしい肌に田辺の視線がクギ付けになる。これは裸のようであって裸でない。パジャマという薄い布がなくなっただけで、カエデの中の人物はスーツに密封されたままだ。
続いてアキは、カエデの髪の毛を外して頭のてっぺんから「皮」をはがしてしまう。シーツを交換するくらい何気なく行われる作業に田辺は驚く。人形はどんどん解体されて、銀一色の女性がむき出しになる。顔までスーツで隠れていて全身ツルツルかと思ったが、アキが彼女をうつ伏せにさせると背中にはファスナーがあった。
後頭部から背中の下側までファスナーを下ろすと、今度こそ本当の生身の肌がのぞく。アキが「手を貸してください」と言い、ふたりがかりで脱がせていく。そうして露(あらわ)になった中身は田辺と同年代の男性だった。唖然として声も出ない田辺を見て、ずっと無表情だったアキがイタズラっぽく笑う。
「インナースーツでかなり体型を補正できるんですよ。そのぶん圧迫感は相当で、動くのがキツいですけどね」
問題はそこじゃないのだけど、と言うこともできず、今度は「彼」の体をお湯と消毒剤で湿らせたタオルを使って拭いていく。男性は相変わらずぐっすり寝ている。「夕食に睡眠薬でも混ぜたんでしょう」と事も無げに言うアキ。今日は脱がせたままでいいが、明日からスーツを元通り着せるところまでやらなければならないと説明された。
「知り合いでもない男の子の世話を、ここまでやらされるなんて…って思いましたか?あなたは篠田さんが見込んだんですから、きっとやり遂げられますよ」
ほめられたのか、なんなのか。ひと通りの仕事終えてアキとは別れ、控え室へ戻る。もう消灯されていて薄暗い。他のスタッフたちはそれぞれ、隅に並べられたベッドで寝てしまっている。目まぐるしい出来事が過ぎ去って、やっとひと息つく。そうか、男性があんなに可愛いアイドルになれるのか…田辺はカエデの正体にあらためて驚いていた。
美少女としての見た目を身につけて、自分自身と全く別の存在になるのはどんな気分なんだろう。羨ましい。羨ましい…何に対してそう感じるのか分からない。分からないのにムラムラと興奮して、彼はトイレの個室でこっそりオナニーをしてからベッドに入った。
明くる朝、サポートスタッフは食堂へ集合していた。最初にヒナが来て、昨日と同じく3つ並べてある椅子のひとつへ座った。少ししてからカエデとリッコが仲むつまじく、ぴったり寄り添ってあらわれる。脱がせて分かったが、あのスーツを着るにはマウスピースをみたいな物を口にくわえていなければならない。話すこともままならない人形たちは、どうやって友情を深めているのだろう。
カエデが腰をおろすとき、こちらを見たような気がする。マスクの表情は固定された笑顔なのに、なぜだか今は、はにかんでいるように見えた。田辺は手をふり返してみる。窓からの朝日に照らされているカエデの姿はとても可憐で、彼女が何者か、本当は男性だと知っていても見惚れてしまう。
田辺に透視の超能力があるなら、スーツの中の男性が膝をぎゅっと内股に閉じて、上品ぶって座っている恥ずかしい姿が浮かび上がるのかもしれない。だけど、そこにいるのは完全に、完璧に、少女の人形だった。頭で知っている情報と目で見る情景が噛み合わなくて頭が混乱する。
最後に篠田が来て、昨日聞いた通りアイドルの付き人として行動をともにすることが全員にアナウンスされる。他のメンバーにもそれぞれ付き人がいて、それは昨日彼女たちを部屋まで送り届けたメンツそのままだった。篠田はドールアイズに強い興味を持つ人間を、より近いところに置くよう仕向けているらしい。
選ばれなかった他のスタッフがどよめき、悔しがっている。先陣を切って目当ての子に近づくようなことはしなかったとしても、みんなアイドルたちに興味があるのだった。あのとき衝動のまま行動してよかったと田辺は思った。羨望と恨みの混ざった仲間からの冷たい視線だってちっとも気にならなかった。
朝の集合が終わって部屋に戻ると朝食の用意がしてあった。ホテルで出されるような素晴らしい、ひとり分の朝食。それと透明のパックに入ったゼリーもテーブルに置かれている。ゼリーは食べ物と言うより必要最低限の薬のようだと田辺は思った。しかもそれを飲むには恥ずかしい思いをしないといけないのだった。
外と接する部分を減らすためには呼吸も食事も何もかも同じところに出入り口をつくらなければ、という理屈だけは分からなくもない。でも、あんな何も場所、股下にしなくたって他に負担の少ない方法はあるだろうに。辛い思いをさせるような仕組みをわざわざ選ぶなんてどうかしている。
田辺はカエデに対して申し訳ない気持ちになって、自分だけ食べる気にはなれないと伝える。すると彼女は身ぶりでなにやら訴えてくる。ジェスチャーを交えながら大げさにうなずいたり、首をかしげたりしている。声優さんがアテレコしたら、カエデがしゃべっているように見えそうだ。だけど、現実には音を消してアニメを観ているみたいにさっぱり意図が読みとれない。
なんとか説得しようと必死になっている彼女は、呪いで人形に変えられ、気持ちを伝えることも叶わない童話の中のお姫様みたいだ。哀れでとても愛しい。そんな姫人形を演じている彼は、まんまと愛しいと思わせたことに優越感を覚えているだろうか。田辺の心に意地悪な気持ちが芽生えててきて、なんの返事もせずに彼女のようすをただずっと眺め続けた。
まるきり要領を得ないことにいよいよ我慢ができなくなったのか、カエデは急に立ち上がって彼の真横へ席を移動する。フォークを手に取りサラダボールにざくりと刺すと、てんこ盛りのレタスの束を田辺の方へ差し出す。「はい、あーんして」というやつだ。不意をつかれた彼は硬直する。
グイっと突き出されたフォークに根負けして田辺は口を開ける。もぐもぐしながら、ありがとう、あとは自分でやるよと言う。それでも彼女止まらず、次から次に料理を口へ運んでくる。ときどきカエデの手もとがおぼつかなくて彼の鼻にベーコンが当たったりすると、おかしくてふたり笑い合う。声を出すのは田辺だけだったが、彼女もお腹に手をあてて体を揺すり笑うフリをする。
ひとつの部屋でふたりきり、男と男が恋人のようにイチャイチャしている。偽りの姿を借りた男とそれを見る男。田辺はだんだん本物の女の子と過ごしているような錯覚を覚えてきていた。彼は生きている人形との食事を楽しみ、欲情している。あそこを固くしてズボンの股の辺りの布を突っ張らせている。
理想的なルックスに惚れたから興奮するのか、と言えばすこし違う。彼女と、彼女の正体が男性だと知っている自分とが恋人ごっこをしているというシチュエーションがたまらない。カエデ自身に興味がない訳ではない。でもそれは遠回りな、カエデという存在をつくり出している裏側が気になるという形でだった。
言葉を話せない。口枷みたいなものをくわえているから。表情が変えられない。顔を隠すマスクをかぶっているから。自由を奪われた中でこんなにも魅力的な少女を演じる。そのためにどんな辛い思いをしているのか。なりきるのに、どれだけの気配りをしているのか。田辺はその苦労を味わっているはずの人物に嫉妬し、同時に欲情する。
彼はカエデと重なりたいと強く望んだ。それは肌と肌を…ではなくて、存在自体を重ねて、彼女そのものになりたかった。苦しみながら、本来の自分とは違う、可愛いアイドルのフリをさせられたかった。だけどカエデにはもう、彼女思いのまま操っている主(あるじ)がいる。自分の立場は、ただの付き人だ。
「あなたがどんな人か知っています。カエデでいることは…カエデを着ているのはどんな感じですか?」そう聞いてみたくなる。名前も知らない男が味わっているものを、自分自身で感じる機会がないのなら、言葉の説明でもいいから知りたい。でも、今の関係を壊してしまうのを恐れてやめた。
田辺はカエデより有利な立場になりたいと思った。いったい自分の何が不利で、どうなれば有利なのかは分からなかったが、とにかくそう思った。
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