エリカの持ち物
「よ,よろしくお願いします.」
ボクは改まって正座しながら,エリカに挨拶した.エリカは喜びで体をはぜま
せながら,ノートと三色ペンを拾って,さらさらと書いた.
「こちらこそ,おねがいしまーす.」
エリカはボクの正面に正座した.正座というよりぺたんこ座りだな.両足の先
が外側へ折れてて,ペタンとお尻が床にくっついている.その座り方がまたかわい
い.ボクは落ち着いてもう一度エリカをよく見た.エリカは来た時の服装のままだ.
黄色いTシャツにピンクのフリルのついたミニスカート,来た時にはピンクのハイ
ソックスをはいていたけど今は脱いでいる.首には小さな銀色のネックレス.よく見
るとアヒルの形をしている.耳には小さな赤いガラスを埋め込んだピアス.Tシャツ
だから腕とかクビは出ているわけだけど,そこはゴムのようなものでできた人工皮膚
でぴちぴちに覆われている.薄手の手術用のゴム手袋ってあるでしょ?あれで全身覆
われている,って感じかな.でも,触った感じは結構さらさらしてた.肌の色は普通
の人よりは白すぎる感じ?まあそれが人形っぽい雰囲気を出しているんだけどね.腕
を曲げたりクビをねじったりすれば当然人工皮膚にもしわができるけど,そのしわの
出来具合から見て人工皮膚は結構薄いってすぐ分かる.ということは,人工皮膚の中
には,人の体があるわけだから,中に入っている人のプロポーションがかなりよいこ
とが分かる.(後で,この考えが甘かったことが分かるんだけどね.)
足はね,本当にきれいな足なんだ.まず長いしね.ほら,レースクィーンなん
かでも,足は長いけどガリガリ,という人いるじゃないですか.エリカの足は適当に
むちむちしてて,それでいて長いんだよねえ.すごいなこれは.ホビー21で遠くから
眺めていた時から,すごいなとずっと思ってたけど,間近で見るとやっぱり見とれて
しまう.特に太もも,あーー刺激的すぎる.えーーこんな子がボクのマンションに住
みつづけるんですカー-?まったくすごい話だ.想像するだけでイッちゃいそうだ
よ.エーもしかして,一緒に住むってころは,いずれエッチなこともするのか
なーー.あーーーもう妄想が止まらないよ.どうしよう.
こんなボクを放って,エリカはコンピュータの前に座って電源を入れた.ボク
はしばらくそれをボーっと見てたけど,エリカが通販のページに入ったので,ふと我
に帰った.
「え,ちょっと,通販で何か買うの?ボクのカードで?」
一緒に住むんだから,この発言はずいぶんセコかったな,と後になって反省し
たけれど,思わずでたことばだからショーがない.エリカはボクのほうを振り向く
と,パソコンのエディタを開いて,ぱたぱたとなれた手付きで文章を打った.
「エリカのカードで買うから大丈夫☆★」
なるほど,手で書くより,こうしたほうが早く書ける.本人がそこにいるのに
チャットしている感じだ.えっ?エリカのカード,って,カード持っているのかな?
ボクは聞いてみた.
「カード持ってるの?どこの?みせて?」
エリカはやおら立ち上がると荷物部屋へといった.そこにはエリカの持ってき
たスーツケースがおいてあるからだ.なにかしらごそごそやっていたが,財布ごと
持ってきた.人形が財布を持っているなんて,なんか変な感じだけど,ま,これが現
実だよね.財布というより茶革の札入れで,何にいくら入っているかはよくわからな
かったけれど,カード入れにはカードが2・3枚しか入っていなかった.そのうちの
1枚を見せてくれた.有名なカード会社のカードで,名前はERICA SASANAMIと入って
いた.そのときはエリカがERICAというカードを持っていることに何の疑問も待た
ず,そうか,姓はささなみ(笹浪?)っていうのか,エリカっていうのはホビー21の
芸名じゃなくて本名なんだな,などと気軽に考えていた.エリカは引き続きキーボー
ドをたたいた.
「このカードで,通販買うから大丈夫だよ.ホビー21でたくさんバイトしてた
から,お金あるんだ.服とか買いにいけないしね.ところで***さん,ここの住
所ってどこ?」
ボクは住所をエリカに教えるために紙を持ち出してそれに書いて手渡した.エ
リカはそれを受け取るとキーボードの脇において,また通販のページを見始めた.手
馴れた感じでアクセサリのページを開いていく.しばらく夢中で見ていたが,ふと脇
にボクがいるのを思い出したように振り向くと,またエディタのウィンドウを出して
打ち始めた.
「ごめんね.退屈でしょう?また今度にするね.」
そう書いてボクのほうに向きなおした.ボクはふと思いついた.
「ところでエリカはスーツケースに何入れてもってきたの?服とか?」
エリカはエディタの上に文章を書き始めた.ノッてくるとかなり早い.もちろ
んブラインドタッチだ.これはプログラマをしているボクと同じくらい.かなりパソ
コンを使い慣れているもんだと感心した.
「スーツケースの中はだいたい衣服だよ.ホビー21で着てたのはお店の服だか
ら持ってきちゃいけないんだけど,実は2・3着持ってきちゃった.いつか着てあげ
るね.あとは私服.お化粧の道具とか,アクセサリも持てるだけ持ってきたよ.」
ここまで書いて,エリカはふっと顔を上げて少し迷っているようだった.視線
が宙に浮いていた.しかし,また画面を見て打ちつづけた.
「あとね,秘密の道具が入ってるの.どーしよーかなー,***さんには秘密
にしておこ-かなーって思ったんだけど,一緒に住むんだし,カクシゴトなしでいこ
うね.」
ボクは《お人形の中には誰も入っていません,っていうの十分にカクシゴトな
んだけどなー》なんて思ったが,秘密の道具が何か知りたかった.
「エリカ,お人形でしょう?だからね,お人形のハダを手入れする薬が入って
るの.中にはね,結構臭うのもあるよ.できるだけ***さんがお仕事に出かけてい
るときに使うね.エリカの髪の毛,作り物でしょ?普通にシャンプーできないんで,
ドライシャンプーっていうのを使ったりするんだよ.そういうのとか.でもね,」
そうかそうかとボクは納得した.やっぱり女の子らしいなとそのときは思った
が,あとでそうではないことが分かった.そのことをここで書いてしまうが,エリカ
がいくら否定してもエリカ人形の中には誰か人が入っているんだし,汗を大量にかく
よね.だから着ぐるみの内側を消毒しなくちゃいけないんだ.くさい,っていうのは
消毒の薬なんだ.だから秘密にしようかどうしようか,って一瞬思ったんだね.
「そうそう,エリカ,晩ごはん作ってくれる,って言ってたでしょ.おねがい
しようかな.あと,合鍵作ってあげるよ.明日の夕方まで待ってね.だから,明日の
晩はボクが晩ごはん買ってくるけど,その次の日から晩ごはん作ってくれる?」
エリカは一瞬ぴくっとして考え込んだが,そのままわー-ッとボクに抱きつい
た.自分が受け入れられたことに安心したんだろう.本当は泣きつきたかったんだろ
うけど,人形は泣けないからボクに必死で抱きついてきたんだ.
今でこそ慣れちゃったけど,この頃,やっぱり等身大の人形が抱きついてく
る,ということにすごく驚きがあった.ほら,オトコの子なら等身大の人形に抱きつ
く,ってことはあったりするわけじゃん.でも,「人形に抱きつかれる」というのは
格別だよ.ホントありえない,ってくらい格別.人形が動く,というのだけでもすご
いけど,ボクに抱きついて来るんだよ.しかもとても柔らかなんだ.中は空気じゃな
いしさ.やっぱすごいよ.一瞬でヌレちゃうよ.
ボクが夢心地でいると,エリカはボクに抱きつくのをやめて,パソコンの前に
戻った.またキーボードをたたき始めた.ボクは覗き込んだ.
「朝ご飯は?」
ボクは口で答えた.「朝はね,いつも食べないで出かけるんだ.」
エリカはキーボードをたたいた.
「トーストと牛乳でよければ準備するけど?」
ボクはうれしかった.でもやっぱり少し心配になって尋ねた.
「エリカはホントに何も食べないの?平気なの?」
エリカはぴくっとした.そして固まった.30秒くらいかな,固まってた.ボ
クは《だって何も食べないっていったのはエリカの方なんじゃない》なんて思いなが
ら,エリカの反応を待った.エリカは力なくキーボードをたたいた.
「***さん,エリカのこと,好き?」
脈絡がないな,と思いながらボクはうなずいた.
「ほんと?ゼッタイ?誓える?」
ボクはもう一度うなずいた.エリカがなおもこっちをじっと見ているので,口
に出して
「誓うよ」
と答えた.エリカはせわしく動きながらキーボードをたたいた.
「エリカはね,***さんが好きでいてくれるうちは魔法がかかって動けるん
だよ.そうじゃなくなったらね,エリカ,動かなくなっちゃうよ.わかった?」
「うん」ボクは神妙に答えた.そして続けていった.「意地悪なこと言っ
ちゃった?」
エリカはボクのほうを向いて,ううんと大きく首を横に振った.人形なのに,
人形のはずなのに,その感情がボクにびんびん伝わってきた.
「よろしくね」 ボクはやさしく言った.
エリカは「ありがとう」というかわりにボクにゆっくりと抱きついてきた.人形
に抱きつかれる違和感はこの時はなかった.ボクとエリカは30分くらい,出会った
ばかりの恋人のように体を寄せ合った.エリカの体は暖かった.やっぱり人が入って
いるんだ.
ボクはお人形のエリカが本当に好きになった.エリカの首筋に両手をあて,ボ
クはエリカの顔を引き寄せた.唇と唇が触れ合う.でも,そこからエリカは息をして
ない.舌もない.全くの人形の唇だ.最初は唇が触れ合うだけの軽いキッス.エリカ
の息はボクの口の中へ入ってこない.そこに口があるのに.
ボクはぎゅうとエリカの頭にしがみつき,エリカの口と自分の口とを強く押し
当てた.エリカの顔の人口皮膚の下に人間の唇があるのが感じられた.でも,それは
男性の薄っぺらな唇ではなく,女の子特有の,例えようもなくふっくらとした,やさ
しい蜜の味の唇だった.ボクの目の前にエリカのつぶらな瞳があり,こちらをうるう
るとした目でじっと見ている.
《エリカ・・・・》
ボクが心の中でつぶやくと,エリカも僕の首の後ろに両腕を回してきた.そし
てぎゅっとぼくの頭にしがみついた.エリカのふっくらとした胸が僕の胸に押し当て
られて密着した.
エリカの目も,エリカの口も,エリカの鼻も,エリカの胸も,ぜんぶ作りモノ
なんだ.エリカは口から息をしていない.エリカは鼻からも息をしていない.人間の
形をしていて,全くといっていいほどただの物体でしかないのだ.でも,エリカはボ
クのことをぎゅっと抱きしめていて,この甘い甘いキスの味に酔いしれている.ボク
たちは心が通じ合っているのを感じた.エリカはボクのことをさらに強く抱きしめ
た.エリカの胸がボクの胸にあたる.僕は顔の角度を変えながらエリカの唇を吸いつ
づけた.エリカは「女の子」と「人形」の間を行き来していた.それはボクから見て
もそうだったし,たぶんエリカ自身にとってもそうだったのだろうと思う.生きてい
るのに,動いているのに,人間であるという証拠を全く見せないエリカ.この不思議
な魅力にボクはヤミツキになってしまった.
(第5回に続く)
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