【同級生からのいざない】 [戻る]


10年前、21世紀という新風に人類が酔いしれてからわずか2、3年ほどのこと
だったと記憶しています。
日本に初めて趣味の総合デパートとも言うべき巨大ホビーショップ、
『ホビー21』がオープンを迎えたときには僕はまだ7歳という、
小学校に入りたての幼子でした。
しかしそんな僕はすでにある程度の自我には目覚めており、ニュース番組で連日のごとく映る長蛇の列をテレビの前でただ指を咥えて眺めているしかない、そんなもどかしい
毎日を送っていたことは昨日のことのごとく鮮明に甦ってきます。
特に父親が関東出張を口実に3日間、ホビー21に脚を運んだことを知らされたときには
僕も連れていけと夕食の席で母や姉もいる中でダダを捏ねました。
「今度出張のときにはお前のほしいものを買ってきてやるから」と返されたときの
僕の鬼が赤子を食ったような形相……そうじゃない!そうじゃないんだ!と反射的に
憤って父親を睨み付けました。
ほしいものがないなら何が目的なんだ?と、おそらく困惑したことでしょう。
しかし母や姉もいる前でこの気持ちを言葉にするなんて、
あの当時も、もちろん今でも、死んでもできないことです。

そもそも僕がこの心の底からもどかしいと感じるきっかけとなった出来事は
4歳のときに家族で行ったウルトラマンショーでした。
最初はもちろん周りのちびっこたちと同じ、ヒーローショーを応援する幼稚園児の1人。
ただ、ショーが終わった後のグリーティングで一緒に撮ってもらった写真を
現像したときに、着ぐるみを見る目は応援や憧れから羨望や嫉妬の対象へと
変化していきました。
そう、股間の膨らみは潜在的に中に人間がいることを察知するのに十分足りえる
情報だったのです。
着ぐるみの中に入れば周りが自分に注目をしてくれる、もっと言うなれば
名誉欲の疑似体験ができる……小学校のころまではその感情が何なのかを
はっきりとは言葉にすることはできませんでしたが、自分の中での定義づけを
確固たるものにしたのが、このホビー21の登場だったのです。

当時、夜中にコッソリとパソコンでホビー21についての情報を集めていたものです。
母親に見つかってこっぴどく怒られたことも1度や2度ではなかったですが、
ホビー21の何に対して興味を抱いていたかを察知はされていなかったと思います。
常に家族にバレるかもしれない危険と隣り合わせで検索していた事柄といえば、
もう言うまでもないことかとは思います、そうです、『着ぐるみ』です。

着ぐるみと言っても前出したウルトラマンのようなウェットスーツでもなければ、
遊園地にいるような動物の姿をした、いわゆるふかもこと呼ばれるものでもなく、
アニメをデフォルメして3次元化した、いわゆる美少女着ぐるみに関してでした。
このホビー21には連日のごとく施設内を美少女着ぐるみが闊歩しており
客に愛想を振りまいてくれる、そういった僕にとっては願ったり叶ったりな、
まさに人生の楽園とでも言うべき理想郷が広がっていたのです。
ある画像では髪の長い妖艶とも言うべきスレンダーな姿のお姉さん、
またある画像では明るく元気いっぱいなかわいい女の子、
きれいな子、かわいい子、やさしそうな子、うぶな子……見れば見るほど、
僕の中で這いずり回る羨望のメーターは振り切れる。
『何故、中に入っているのは僕ではないのか!?』
毎日まいにち、この狂った歯車を回し続けることに苛立ちを隠し切れず、
中学3年のときにやっとチャンスが巡ってきたと思った修学旅行のときなど
行き先が関東から九州に変わったときに校長室に怒鳴り込んでしまい、
両親が涙ながらに謝罪をするという失態も犯しました。
でもあのときには自分の感情のやり場をどこに向けていいか分からずに
とうとう修学旅行を休むという愚行までやってのけてみせました。
親にも先生にも、そのころから問題児のレッテルを貼られており、
僕は一番人生の中で荒れ狂っていたことを自分自身でも分かっていました。
何せ高校受験にさえ失敗したぐらいでしたからね。

まさかの高校での浪人生活、もちろん中学を卒業するときには周りの友人からも
馬鹿にされ、ただ舌を噛んで周りの罵詈雑言を耐えるしかありませんでした。
しかしその後も家で勉学に励む気力など湧いてくるわけでもなく、
無為な日々を繰り返しては時折ネットでホビー21を検索して嫉妬に狂う。
1度、父親に心療内科に受診させられたこともあったぐらいです。
身体表現性障害とか小難しい単語で僕を病気に仕立て上げようなんて、
と、鼻で笑ったときに初めて父親からの強烈なビンタを喰らいました。
そう、確かに僕はもう病んでいた、いや、狂っていた……夢や憧れでもあったが、
憤懣をぶちまけることで誤魔化し続けていたその望みが叶えられない絶望に変わった
瞬間でもありました。
乾いたハニカミを浮かべた僕はまさに精神病患者そのものだったのです。

そんな僕に転機が訪れたのは1年後のことでした。
中学生のころたまに遊んでいた悪友からの1本の電話によってそれは突如として
始まります。
『調子はどう?』なんて今では虚脱感を誘発する言葉に『別に。』とため息交じりに
返答するのが精いっぱい。
『お前らしい。』と言われて、友人の僕に対する印象が無気力であることに
何も言い返せない……喫茶店で茶でもしばこうと言われて久々に外出したのだが
足腰は鉛のごとく重みを感じ、歩くことさえ忘却の寸前。
いよいよ無気力を痛感せざるをえませんでした。

「祐樹、お前、やつれたなぁ~、幸薄い顔すんなよ~。」
今日は晴天。
冬の乾いた空気の下に晒された僕の肌はカフェの窓に映ると色白い。
無精ひげも生えてきてまさに浮浪者だ。
「そうだな、日陰者がしばらく続いたからな。」
「勉強はやってるの?この前、また高校受験だったんだろ?
 俺が気にしてどうこうって訳じゃないんだけどさ、結果はどうだったんだ?」
その言葉を聞いて、一口目と思ったコーヒーを持つ手はぴたりと止まった。
湯気がゆらゆらと揺らめく、僕はもじもじとたじろぐ。
ただ隠したところでいつかはワレることである、まるで取調べでの自白そのものだ。
「2日前に母親に泣かれてね……父親ももう無口だよ。
 姉は慶応大学進学だってのに、何なんだろうね、この惨めさは、ハハ。」
「そうか、ならよかった、誘いやすい。」
誘いやすい? 何を言ってるんだ? いつものように見下してくれよ?
「いや、もし今年ダメだったらお前を誘おうと思ってさ……
 っていうのも、俺もお前と同じ境遇になったんだ。
 まぁ、何だ、高校中退ってやつだな、ハハ。」
「何で? 翔は中学のときに成績優秀だったじゃんか。」
「暴力沙汰、魔が差したってのはこういうことなのかな。」
「あっ、それは悪いことを聞いたな。」
内心、僕と同じ仲間ができた、などとは思えなかった。
彼の場合はやめたところで地頭があるし、また受験さえすれば高校に
進学できることなどは火を見るよりも明らかである。
何だ、一緒の高校に行かないと誘ってくれるつもりだろうか?
だが残念だ、1年という時間を無為に過ごした僕にはそもそも受験の資格すらない。
しかし彼から出た次の一言、それは僕の思考を一瞬静止させるのに十分であった。
「上京してホビー21でバイトしないか?」

僕と翔の関係、それは中学2、3年のときに一緒にアニメを見る仲間だった。
アニメと言ってもサザ〇さんみたいな大衆向けアニメなどではない。
俗世間が『オタク』という烙印を押すであろう萌えアニメ、それである。
もちろんお互いがホビー21のことは聖地と呼んで憚らない場所であり、
着ぐるみに対する特別な感情も話せる唯一の親友であった。
「お前だって見たいだろう? あの完成度の高い着ぐるみをさ。」
オシャレなカフェでオタク2人が喋るのはどんな風に映っただろうか?
ただ今の僕にはそんなことはどこ吹く風である。
「もちろん行きたいさ、見てみたい、会ってみたい、僕の長年の夢だ。」
無一文、学のない状況でバイトをしに独り暮らしをするなんて、
両親が聞いたらさぞ、怒り狂うこと間違いなしであろう。
だが、翔の申し出はあまりに、あまりに魅力的で僕の鼓動を昂らせる。
瞼の内側で焼き付いているあの子たちに手を伸ばすにはこうでもしないと叶わないのだ。
「行く、もし反対されても、飛び出してでもついていく。」
これはおそらく運命的な申し出だと、僕はそう思わずにはいられなかった。
僕の人生の道標は着ぐるみをおいて他にはない……
今の無味無臭な生活から脱却するためにも、ここで動かずにはいられなかった。
「ありがとう、ありがとう。」
雪の残る帰り道、舌に残るコーヒーの味は少しほろ苦かったが、甘美な蜜を舐めるよりは
今の僕には刺激になってよっぽどいい。
甘美な生活を味わうのはこれからだ、と、僕は何度となく言い聞かせていた。

カチッ、カチッ……古びた時計は23:00を少し回っていただろう。
孤独であり、孤高であるその背中は今では僕の道標。
3番線ホームで白い吐息を震わせる翔は振り返り僕を視認したときに
安堵の表情を浮かべながらまとったマフラーから口をのぞかせた。
「よかった、来てくれると信じていたよ。」
東京に向かう夜行列車はもう10分後には発車する。
おそらく気が気ではなかったのだろう。
男同士で抱き合うのは絵にはならないが、このときばかりは自分の感情に正直に、
生きている実感を肌で味わうために、ぎゅっと固い絆を確かめ合った。
「結局、親とは喧嘩別れみたいになったよ……でも後悔していない。」
もう僕はホビー21に骨を埋(うず)める覚悟をしてきた。
この電車は人生の片道切符だ。
「あれから1か月、ずっと考えてたんだ……僕がこのまま自分の気持ちに
 偽り続けて生きていても無為な人生になるって。
 オタクと下げずむ奴がいたってかまわない、行く、行くって決めたんだ。」
「つらいかもしれないけどさ、一緒にやろうぜ。」
4歳のときから着ぐるみを認識し、7歳のときにホビー21を知ってから早10年。
僕の今まで生きてきた時間は羨望を膨張させるだけさせてきた。
消化不良なんてもんじゃない、そもそも口に入れてもいないじゃないか。
きっと、きっとホビー21に行けば僕の望む世界がある。
電車の中でお互いに見せ合った採用通知の書類……たかがバイトであることは百も承知。
ただ、恥じることなんてない、これが僕の物語なんだ。
ガタンゴトンと闇に向かって突き進む夜行列車、きっともう両親にも、街の人間にも、
見えなくなっていることだろう……さようならの痕跡すら残さずに僕は今日、消えた。
「待ってろよ、ホビー21ッ!!!」


僕の名前は酒井祐樹、金なし学なし女なしの3拍子揃ったどこにでもいる、
いや、それ以上にひどいアニメオタクで自称着ぐるみ博士だ。
親と喧嘩別れとなってすでに1年超、今では1つ屋根の下で同じ志を抱く
山口翔との輝かしい……とはとても言えない慎ましい生活を送っている。
ホビー21に入って二人三脚で仕事に明け暮れる毎日。
仕事は多忙を極め、直属の上司に小言を頂くこといく千回、
時には投げ出したくなる衝動にもかられるが、仕事終わりの数少ない時間を
2人でアニメの話やら今後の夢を語るときは至福そのものだ。
もちろん、着ぐるみの話だってもう何百回したか分からない。
ただ最近ではもっぱら僕よりも翔のほうがホビー21に関する着ぐるみについては
博識であり、僕以上の着ぐるみマスターを名乗ってもいいのではないかと思うほどである。
しかし最近、その着ぐるみの話をするときに彼が何故かぎこちなくなってしまっている、そう感じてしまうのは何故だろうか?

僕たちは就職した最初の2か月は物品搬入の仕事ばかりで店内にほとんど顔を出す暇も
ないほどの目が回る忙しさに着ぐるみのことを調べている時間すらなかった。
ただその後、僕は3Fにあるドール、フィギュアの物販担当、
翔は1Fの鉄道模型の物販を担当してからというものの、一気に着ぐるみに接する、
とまではいかないものの視界に着ぐるみが入ってくる機会は格段に増えていた。
僕は毎日まいにち、仕事をする傍らでお客さんに愛想を振りまいている
かわいらしい美少女着ぐるみに羨望の目を向けるとともに、1つ1つ舐めまわすように
細部にいたるまでそれぞれのキャラを徹底的に調べ上げたものだ。
このキャラはどんな服装をしてくる、何曜日と何曜日の担当、何時に出現してくる、
どこから登場する、何時間ほどで退室していく、等々……仕事中に我を忘れて必死に
メモをとっていることもあり、直属の上司に怒られる原因の90%はこの行為にあると
言っても過言ではなかった。
しかし僕にはどうしても、この行為を止めるすべは持ち合わせていなかったようだ。
あれほどまでに幼いころから羨望の対象として見てきた美少女着ぐるみ、
彼女らが僕の目の前を闊歩しているのである。
時には制服姿、時には大胆にも水着姿、ある時はレオタード……
耐えきれなくなってトイレの個室にお世話になることも1度や2度ではなかった。
あの中に人がいる、みんなに寄り付かれて、人気者であって、きっと中では
名誉欲をこれでもかと言わんほどに味わっている、
悔しいという気持ちはおそらく表情に出ていたことだろう。
夜になるとお互いに集めた情報をまとめる作業に入り、疲れ切って眠りにつく、
こんな生活を1年間、ずっとやってきたのだ。
そりゃ、こんなことをしていれば嫌でも着ぐるみのことを詳しくもなるはずである。
今では時計を見ただけで、『あっ、あの子が来る』とメモを見ずとも預言者のごとく
言い当てることなど造作でもないことだった。
しかし、2か月前に翔が1F鉄道模型の物販担当から人事異動になってからだった。
今までの生活とは一変したことだけはよく覚えている。
そう、この情報交換ともいえる夜の団欒が一気に0になったことだ。

不思議だった、とにかく不思議でしかなかった。
僕以上に美少女着ぐるみに詳しくなり身も心も捧げていた翔が、人事異動をされてから
ぴたりとこの話をしなくなったのは何かが翔の身に降りかかったとしか思えない。
心配事はそれだけではなく、どの部署に異動したかまで決して口を開こうとしなかった
ことも僕の不安を助長する。
「なあ、大丈夫か、疲れているんじゃないのか?」
僕はさすがに翔の身を案じることが多くなったが彼の返答は決まって『大丈夫。』
何が大丈夫なのか、まったく根拠はない……が、何故か僕には彼が嘘をついている、
という風にも見えなかった。
よくは分からない、理由という理由があるわけでもないのだが、1つだけ言うなれば
彼の表情がやつれているようにはとても見えなかったのだ、むしろ活き活きとしている、
と言っていいぐらいの覇気に満ちた表情だったからだ。
もしかしたら疲れているのは僕のほうなのかもしれない。
だが、やはり、着ぐるみの話を突如としてしなくなったのは……単刀直入におかしい。

今回、僕は初めて、ホビー21に有給休暇の申請をした。
いや、バイトの身で有給休暇とはおかしな話かもしれない。
でも僕はここでの働きを上司に認めてもらい、今では正社員候補として
1歩上の仕事を任されるようになっているのである。
ただこの有休は久々にゆっくりと骨休めをするためにいただいたものでは決してなかった。
本当は干渉なんかこれっぽちもするつもりはなかったのだが、
このままでは僕の精神が蝕まれていく、僕がつぶれていく。
そう、この休日は翔の1日の行動を調べるためのもの、もっというなら真実を確認して
僕が潰れないようにするためのもの……もったいない気もしたが、
翔がどこの部署に異動したのか、何よりもどうして着ぐるみの話をしなくなったのか、
それを調べるためにも今日は徹底的に調べる必要があると思ったからだ。

「先に行くぞ。」
僕はもちろん、翔に有給休暇の話などはしていない。
いつものスーツ姿で、何喰わぬ顔で出勤を装い玄関を出る。
アパートの裏に潜んで音を殺す、翔が出勤するのをじっと待つ作業に入っていた。


彼は僕に道標を授けてくれた大切な仲間であり
信頼という刻印が裂けることは決してないとは思っている。
でもそれに相反するかのように彼に対してここ最近、ある疑いをかけている。
彼は最近、僕よりずっとタイミングの遅い重役出勤、それでいて夜は必ず僕より先の
帰宅であり、先に眠りについていることもしばしばだ。
しかも僕の羞恥心を擽(くすぐ)られる話になるが、以前は深夜アニメを見ながら一緒に
ティッシュペーパーの御世話になっていたこともしばしばあった。
だが今ではそれすらまったくの御無沙汰、なしの礫(つぶて)。
そして移動部署を話さない、着ぐるみの話をしない……
彼が不器用なのは中学のときから周知の事実、そう、今回は特大の不器用さだ。
僕は勉学はこれっきしもできなかったが、さすがに彼の隠し事を直感するぐらいの
ホンの少しばかりの直感力はあるはずだ。
これらの情報からある1つの仮説を立てるのにさして時間はかからなかったのだ。
『翔は着ぐるみの部門にいる』

この仮説を立てるのには実はもう1つ、核心に迫る物的証拠があった。
翔が人事異動をしたわずか3日後、3Fのアニメコーナーに突然、とある
美少女着ぐるみキャラが出現したことにある。
3ヵ月前からテレビアニメが開始となった『魔法少女のどか・マジか?』が空前の
大ヒット、そのアニメは僕も翔も仕事が終わるや否や寝る間も惜しんで見続けたのだが、
そのアニメのメインキャラクター、のどかちゃんが着ぐるみとなってホビー21に
現れたのだった。

これだけでは何が物的証拠なのか?
もちろん理解していただけるのであれば釈迦も真っ青である。
だが問題はそのキャラが3Fに出現してからのことだった。
もともと僕は恥ずかしがり屋であり、アレだけ着ぐるみのことが好きだ好きだと
公言しておきながら、1度として真正面に対峙して小さな子供ややんちゃなお父さんと
同じように握手を求めたり写真を撮るといったことはしてこなかった。
しかしこののどかちゃんはフリフリの衣装にかわいらしく大きな瞳、
幼さの残るあどけない表情……そんな彼女が僕の前に堂々と歩み寄って、
彼女のほうから握手を求めてきて、挙句の果てには写真まで一緒に撮ったのだ。
僕は低身長で幸の薄いブサメン、今までここで働いてきて美少女着ぐるみが
僕のもとにやってきたのは1度としてない、1度としてだ。
これでも核心に迫る物的証拠とは言いがたいであろう。
だが3日前に彼の仕事鞄をコッソリ覗いたときに、そのときに撮影したのどかちゃんとの2ショット写真が入っていたときには……手足が震えてしばらく立ち上がれなかった。

はっきり言って限りなく黒だ。
あいつは僕の憧れのキャラ、のどかちゃんになって僕の目の前に現れ、
僕の前でのどかちゃんの動きを楽しみ、のどかちゃんとしてスターになっていたのだ。
翔は僕を僕と視認できる、僕は翔をのどかちゃんとしか視認できない……
悶絶して、嗚咽となって症状に出て、眩暈は焦燥へと変わり、目の前を流れる
どぶ川に身を投げ込もうとさえ思った。

少し僕の中でイライラが募り始めたころ、時間に直すとそれでも1時間は経過して
いないであろう……疑惑の渦中にある翔がやっと重役出勤を開始である。
1年間も慣れ親しんだ仕事場への道、しかし、どうしたことだろうか……ホビー21まで残り50メートルという距離を隔てた場所でふと、まわれ右。
そのまま近くに聳える古ぼけた雑居ビルに入っていくではないか。
何だ何だ?
いったいどういうことだ?
この5階建てのビルはホビー21関連の建物なのだろうか?
入口でカードキーのようなものを差し込んでいるところから、おそらくはそうであろう。
追いかけようとも思ったがどうやら僕が持っている社員証では開かないようだ
一見、殺伐とした人気(ひとけ)のない廃墟である。
こんな建物があの21世紀を越えて建築された技術の粋を集めたホビー21の施設なのか?……ただ彼を闇雲に追跡できなくなった以上はこの古びた建物にターゲットを
絞るより他にはなかった。

【築昭和30年】、そのプレートに艶やかな痕跡など1つ足りとも残っていない。
太陽の光に照らされ、雨風に打ち付けられ、剥がれ、朽ちていく寸前……
廃墟と呼んでも差し支えないと思われるほど、そこには生気がない。
ただ、それ以上何を調べられるわけでもなく、飛び越えられない塀の周りを
ぐるぐる、ぐるぐると時間の浪費。
だがそうした行動の中でも、ふと神経を研ぎ澄ませば何かしらの違和感にたどり着く……
そう、今日の自分は冴えている。
ビルの目の前から排水溝がホビー21の建物内に続いていることに普通の人は
疑問を呈することなどないであろうが、よく神経を研ぎ澄ますと、いや、
耳を研ぎ澄ますと聞こえてくる、響いてくるのである……誰かがこの下を通る足音。
この排水溝の下には何かしらの通路がある、僕の直感だった。
となるとこのトマソンとも言うべき朽ち果てたビルは特殊な人しか通行が許されない
ホビー21の深部に続く別の入口……そうだ、きっとそうだ。
そもそもホビー21で働いている美少女着ぐるみはスタッフの詳細等が
他の部署と違ってまったく出回っていない。
ここは秘密の通路だ。
彼ら着ぐるみスタッフの通路だ。
根拠まで指し示せないが安心してほしい、何度も言うように今日の僕は冴えている。

少しだけ思い悩んだ。
しかしその時間は1分とかかっていなかったであろう。
いったん家に戻ってから僕は上下ジャージに着替えて、アパートの倉庫から
鉄のバールを拝借、こんな姿を警察にでも見られたら確実に不審人物での
任意同行を求められるだろうが、そんなリスクを考えている暇などない。
僕にとっての最大のリスクは今後の精神衛生が安寧を得られないことのほうである。
誰もいないことを再三確認した上で、呼吸を1つ整えて、生唾をごくりと飲み込んで、
カチン!……固い、そして重い。
幸の薄くひ弱で風が吹けば飛びそうな僕の体……排水溝の蓋を渾身の力で持ち上げる。
ググッ、ズザザザザ……周りの人に見られないように素早く、それでいて音を殺す。
心臓の鼓動ですら周りに雑音として響き渡っているのではないかという錯覚にとらわれ、
ぐっと胸に力を込めるのも少し躊躇が入る。
この時間は長いようで、短いようで、ただ僕には止まっているようにも感じた。

僕の体は150cm、38kg、おそらく吹けば飛んでいく体……だがこの体がここにきて
やっと生かされるときが来たのだ。
泥水がある排水溝に潜り込んで、蓋を戻したときにはこんな小柄な僕でも
狭苦しく感じる……おそらくもう少し体が大きければこの潜入方法は無理だったろう。
いったい何をしているのであろう?
自問自答すれば虚しくなるばかり、今、僕は排水溝の中で泥をかぶり、
牛歩よりも格段に遅いスピードでのっしのっしと匍匐前進。
この先には見てはいけない秘密がある……自問自答をかき消す最高の呪文を覚えた僕にはたった50メートル、走れば8秒程度で駆け抜けられる距離を
1時間以上もかけて進むことなど苦痛でも何でもなかった。
むしろ、滑稽で笑いたくなる衝動にかられるほどである。
もちろん、動向の途中の歩行者がいる手前、心臓の鼓動すら押し殺す場面も
しばしばだったことは言うまでもないことだが。
非常にリスクのある、そして無謀で、何より馬鹿げたことをしている自覚はもちろんある。
ただ本能の叫びは引き返すことなど許してくれるわけがない。
さて、ここから先は奇跡的なことだったのかもしれない……
形振り(なりふり)構わず排水溝に飛び込んだ自分ではあったが、ここからさらに
下にあるであろうホビー21の特殊なスタッフのための通路にたどり着く保証なんて、
本来どこにもなかったはずである。
排水溝の端にたどり着いたときにふと冷静になって考えたがもう後の祭りである。
でもその端っこには側溝があり、そこから薄暗い通路が臨めるではないか。
明らかにそこは普通では入れない秘密のベール……もう1度生唾を飲み込み、
人がいないことを確認して、いざ……慎重に……そっと……。


おそらく自分が最初で最後の人間となるであろう、ホビー21の深部に侵入した
犯罪者として……おそらく明るみに出れば首どころでは済まないであろう。
一生かかっても支払えないような賠償を請求され、ただでさえ迷惑をかけた
家族を路頭に迷わすことになりかねないことは分かっていた。
それほどまでに僕はホビー21に出ている着ぐるみに固執している……
いや、今はそれよりももう少し理由が違う。
自分の身近にいた人がどのようなステップを踏んでこの世界に踏み込めることが
できたか、そして何よりこの目で本当に翔がホビー21のトップシークレットで
あろう美少女着ぐるみの中身が可能な部署に異動したかを確認しないと、
この言い切れない感情を抑え付けることはできないであろう。
幸いなことにこの施設に関係するスタッフはすでに出勤済みなのだろうか、
この通路には物陰1つない。
もう少しだけ奥に進むとそこから細い階段を上る、また少し狭い通路を通ってから
階段を上る、もう少しだけ開けた通路……さて、そこには社員の名前と思われる
札の掲げられた扉がいくつも並んでいるではないか。
『黒田正平』『高木明』『利沢幸彦』『小松原昇』『和気十四郎』……、
すべての扉に鍵がかかっておりそれ以上中には進めない。
しかし、掲げてある表札がすべて男性の名前であることは些か気になる。
もし、ここが美少女着ぐるみの部署であり、この人たちがスタッフであるなら、
あの着ぐるみの殆どは男性……一瞬、視界がくらんで倒れそうになったが、
まだ確たる証拠はどこにもない。
落ち着け、落ち着け……僕が1年間仕事をしてきて、あの子はかわいい、
あの子はきれい、と羨望の眼差しを送っていたのはすべて中身は男性……
考えたくはない、でも、それが現実かもしれない。
と、ふととある扉に掲げられた表札……さぁ、現実と向き合う時間だ。
『山口翔』……真実は残酷、とはよく言うが、それでも知りたい。
僕は自分の心に決着をつけるために来たんだから…………。
図っていたかのようにその扉だけは鍵がかかっていなかった。
一瞬、罠か?とも思ったが、それでも今、中に人がいないことを確認して、
すっと音を立てずに入り込んだ。

泥だらけの服を部屋にまき散らすわけにはいかない。
ジャージを脱いで持ってきていたビニール袋に入れると、その姿は
トランクスに半袖1枚、どう見ても変質者そのものであった。
8畳ほどの広さの部屋は殺風景で、小さな椅子に、大きな鏡が1枚、
そしてクローゼットが1つ、そして僕が入ってきた扉ともう1つ、
おそらくホビー21の施設へとつながるもう1つの扉……それだけである。
ただ、そのクローゼットの中には翔の着ていたスーツ……
間違いない、ここは翔のために用意された楽屋であり、
ここで翔は何かに着がえた、ということになる。
本人の姿を見ていないものの、僕はほぼ確証が持てた、黒だ、完璧に黒だ。
ここはホビー21の着ぐるみ部門であり、ここで彼は着ぐるみに着替えた。
これだけの状況証拠があれば彼の現在の姿を見ずとも、もう確証が持てる。
姿を見るところまで確認しようとすればこんな殺風景な隠れる場所もない
部屋、袋小路になってしまう……帰ろう、誰にも気づかれないように。
そして夜に僕は、あいつを問い詰める。

しかしここで、僕は予期せぬ事態に陥った。
何と来たほうの扉が開かないのである。
『えっ?』と思わず小声を出した瞬間には僕は焦っていた。
まさか、外側から鍵がかかる仕組み!!?
いや、バカな、普通そんなことあるはずがない!
しかし内側から鍵を開けるノブはなし、押しても引いてもピクリともしない。
「やばい、これはやばい……。」
出してはいけない声を出してしまうほど狼狽しているのがよく分かる。
鼓動の速さ、頬の熱、脚の震え……ゲームの世界ならGame Overの表示とともに
リセットボタンを押せるのだろうが、ここでのGame Overは確実に
人生のリセットボタンを押す羽目になるであろう。
えっ?輪廻転生を信じているか?……そんなの知らない!
そうだッ、もう1つの扉、おそらく施設側につながる扉……もしかしたら
バレるかもしれないが、それでもうまくいけば何食わぬ顔でやり過ごせるかも……
でもその扉も固く閉ざされている。
…………。
ここは完全に密室、だ……詰んだ……。
そこに更なる追い討ちが……ガラス張りの扉の向こうに人影が現れたのである。
「まずい!やばい!」
命の危険を感じるかのごとく、交感神経が末端にまで伝わって今までに
かいたことのなかろう多量の汗を噴出させている。
扉は開かない、誰かが入ってくる……どうしよう、どうしよう!
とっさに僕は何を思ったか、次の瞬間には袋小路であるクローゼットの中に
その身を潜ませたのである。

何とバカなことをしたんだろう……しかし今、これが僕にできる精一杯の
回避策であった。
このクローゼットの中は排水溝と同じくらいのスペースはあり、僕ぐらいに
とっては狭いと感じることはなかったがそんなことはどうだっていい。
問題はこの今の現状をどうやって打破する!?
もうダメだ、八方塞がりだ……クローゼットのわずかな隙間から部屋を覗くと、
赤い髪の美少女が1人、すでに中に入り込んでいる状況だった。
ここで僕は、何故か今までの昂った緊張を一瞬緩めることになった。
その美少女は着ぐるみであった……そう、翔と一緒に徹夜でアニメを見た、
『魔法少女のどか・マジか?』のヒロインであるのどか、そのものであったのだ。

その着ぐるみに誰が入っているかなんてことはもう考えなくても分かるであろう。
ただいざ、その光景を目の前にすると、今までの緊張はどこへやら……
歯を食いしばり、拳を握りしめ、怒りに満ちていた。
まさか、こんな状況でも脱出よりも嫉妬に対する怒りが強いのか……
今ならバレてでもクローゼットの中で憤懣をぶち曲げることぐらい、
造作のないことであると言い切れる。
ただ、僕は翔が、いや、のどかちゃんという僕の1番の憧れになっている
キャラがこの後どうするのかが気になって仕方なかった。
結論から言おう、いつでも憤懣のメーターは振り切れてもおかしくなかった。
単刀直入に言うなら、自慰行為を行なっていたのだ。

鏡の前でポーズを決め、女の子らしいポーズをとる。
現在は午後2時のため、のどかちゃんのホビー21館内での仕事は
本日終了しているはずであった。
そういうことだけはきっちりとチェックをしているために僕はのどかちゃんが
アフターであることは誰よりもよく分かっている。
そのとおり、もう予定はなかったのであろう……いきなり着ているドレスを脱ぎ出し、
布の肌をあらわにした状態になったのだ。
えっ!!?と僕はクローゼットの中で声を漏らした。
しかし彼女には聞こえていないのだろうか……そのまま鏡の前でその股間に手を添えて、
ゆっくりと、何かを確かめるかのごとくその腕を上下に……
響き渡るのは、ザザッ、ザザッという布が擦れる音と、時折漏れる呼吸音。
『はぁ……はぁ……。』
僕の下半身はがちがちだった。憤懣もそうだったが、下半身もはちきれんばかりに
悲鳴を上げている。
そう、ホビー21で仕事をしている美少女着ぐるみは、観衆から羨望の目で見られて、
鏡の前で視覚的に美少女であることを確認し、そして中の人の大事な大事な息子を
それはそれは気持ちよさそうに弄ぶのであった。
目の前で翔は……翔は……それを味わっている。
僕はクローゼットの中で息ができないかのごとく嗚咽をあげ、悔しさと嫉妬の渦で
とうとう倒れこんだ。
僕は……僕は……何1つ取り柄のない……着ぐるみにすら……負けた……。
なるだけ息を殺そうにも絶望に抗う術などない。
ウェ、ウェっと……無様としか言えない、僕は、あまりに、無力だ……。
「うっ!!?」
『!!?』

一瞬、聞き覚えのある男の声がした。
翔だ、翔だ!!!
咄嗟に起き上がりクローゼットから再度覗き込むと、そこには裸ののどかちゃんが
果てたかのように倒れこんでいる姿があった。
僕があれだけ憧れたのどかちゃん、今その中には翔が入っていて、そして僕に
見せつけている……悔しい、悔しい、くやしいくやしいくやしくやしくやくやい!!!




 ピーーーーーーーーーーーーーッ!!!

 『テスト、ここまでッ!!!』




はっ?
何があったのか???
……突如として館内放送のような大音量のホイッスルが聞こえたかと思うと、
部屋一面に白いガスが吹き付けているではないか。
そのガスはもちろん、クローゼットの細い隙間を流れて僕の嗅覚にも伝わる。
……たぶん、僕がここにいることがバレているみたいだった。
終わった……終わった……少しずつ、遠のく、僕の意識。
これで……僕は……終わった、な…………。


……どのくらい眠っていたのだろうか?
そんな疑問は今の僕にとってはどうということはない些細な問題だった。
どこで失敗したかの言い訳もない、運が悪かったということでもない、
すべて僕が引き起こし、自爆という形で幕を下ろしたのである……
目が覚めた瞬間、目の前に誰がいるかも確認せずにその場に深々と
頭を埋もれて土下座していた。
「申し訳ありませんでした、弁解の余地はありません。」
少し眩しく目を開けるのにも時間がかかった。
ただ、僕に正面を向く度胸はない。
「えっと、名前は何と言うんだったかな?」
「祐樹です。」
えっ?……僕が言う前に聞き覚えのある声がする。
恐る恐る頭を上げたときに映ったのは、真っ先に翔の姿だ。
また、体が固まっていったのをよく覚えている……それは憎悪なのか、
それとも恐怖の対象となり果てたためだろうか…………。
「祐樹、ごめん!本当にすまなかった!お前をこっちの世界に連れてくるには
 こういう方法をとるより他に仕方なかったんだ!許してくれ!!!」
えっ?何を言ってるんだ……??
何故か目の前で僕に向かって土下座をし始める翔を前に、
僕の偏差値30未満の薄っぺらい脳味噌は悲鳴を上げる他はなかった。
「咄嗟にこの状況が理解できるなら大したものだよ。
 ただ、まずはこう声をかけさせてもらうよ……
 ようこそ、ホビー21エンターテイメント部へ。」

有給休暇はとっくの昔に終了のゴングが鳴り響いているはずだった。
本来ならばホビー21の3Fで忙しく駆け巡りながら横目で美少女着ぐるみを
確認しているころであろう。
だが今はSPらしき巨体の男性が2人、扉の前に立っているのと、
自分と翔と初老の男性が1人、対面に座って話をしている状況である。
これまでの経緯(いきさつ)を事細かに話してくれるのはいいが、
まったく飲み込めやしない。
冷静さを欠いている状況で小難しいことを次から次へと話されるのは
僕にとっては苦手以外の何物でもないのだ。
何せ高校受験にすら失敗した男だからな……自慢にもならないが。
とりあえず翔が要約してくれた話ではこうだった。
ホビー21ではここ数年、質のいい美少女着ぐるみの中身を採用するために
ありとあらゆる方法がとられてきた。
1年前にバイトとして入社してきた新人2人、そう、僕と翔のことであるが、
職場の人からすればそれはそれは異常としか言いようのないほどに美少女着ぐるみへの
羨望の目を向けているという評価が上層部に渡っていたのである。
1年間の勤務態度等を加味して、今年の着ぐるみ採用枠4人のうち2人はすでに僕たちに
決まっていたということだった。

僕たち2人の評価は、一瞬ボジョレーヌーボー解禁の殺し文句かと思えるほど
滑稽なものだったが、それが上層部からの謙遜なしの意見だった。
「過去50年では最高の出来。」
初老の男性もにやにやと笑いながらそんな風に話すものだから、
あれだけ眉間に皴を寄せていた僕の表情もいつしか和らいでいた。
今回、このような大がかりな最終テストに僕が自発的に参加することも
既定路線だったらしい……わざと僕とのどかちゃんの2ショットの写真を
バッグの中に隠していたことも、僕がホビー21の最深部に侵入してくることも……
すべて彼らの中で予測済みだったのである。
「ただ排水溝から来るっていうのだけは予想外だったんだけどもな。
 そこまでやるとは大したもんだよ……久々にいいものを見させてもらった。」
今日の一連の出来事を撮影した隠しカメラの映像を見せてもらって、
僕はここで本当に安堵の溜息をもらした。
「よかった、よかったよ……。」
すべては僕を着ぐるみの中身として採用するための試験、
どれだけ着ぐるみに執着しているのかを確認するためのもの、そういうことだった。

ここで僕は咄嗟にある1つの疑問を初老の男性にぶつけた。
「じゃあ、翔のテストは何だったんですか?」
そう聞くと、翔はやめてくれとばかりに首を横に振り、初老の男性も甲高い笑い声を
あげる。
「聞きたいか?」
「それはもちろん、ぜひに……。」
翔のテストは僕の2ヶ月前だったとのことだ。
それは翔が着ぐるみの話に乗ってこなくなった日と合致している。
翔のテストは僕よりも嫉妬にまみれた内容であったが……ここは翔の名誉のためにも
読者の皆様には内緒にしておこう。

さて、初老の男性はここで真面目な顔に戻ると契約書を1つ、僕の目の前に差し出した。
「私の名は斎藤勝義だ、ホビー21の取締役会長と言えば分かるであろう。」
そういえばこの顔、確かにHPで見たことがある。
そうか、この人が現、ホビー21の会長さんだったのか……
今ではこの人は僕には後光が差しているかのように眩しく見える。
「契約書で重要なことはただ1つ、守秘義務のみだ。
 ここさえ守ってもらえれば後はどうということはない。」
なるほど、やはりホビー21にとって、美少女着ぐるみというのは
トップシークレットとも言えるべき位置づけであることはよく分かった。
名前を書いて拇印を押し……そう、これで僕は晴れて十数年と憧れていた
ホビー21の着ぐるみに手が届く位置に来ていたのだ。
「おめでとう……だが、ここからが大変だぞ?」


翌日、僕は翔に案内されて、昨日入りこんだ雑居ビルよりもさらに100メートルほど
離れた地下から、秘密の地下通路を通って訓練センターへと脚を踏み入れました。
まずはこの訓練所で汎用のスーツによる訓練を積み、着ぐるみの中で実際起こっている
世界を実体験することから始まります。
翔はこの訓練所をわずか3日でパスしたという、今までに例を見ない驚異的な
早さだったことを斎藤氏に教えてもらっていましたが、同様の素質がある自分も
最悪でも5日でパスすると言われました。
最初はどういうことかまるで分りませんでしたが、それはこの汎用スーツに
袖を通したときに答えは自然と分かりました。
その中はあまりにも苦しくて、しかしながら官能の世界とも言うべき快楽も同時に襲い、
僕は3分で中に出してしまいました。
スーツの股間に自分のモノを挿入する穴があり、その穴の中で感じ続けることによって
性的興奮がスーツに信号となって伝わり、細胞補正の機能を賦活して
体型補正ができるとのことで、逆説的に考えると絶えず快楽の世界を持続させる
必要があるということです。
ぴくぴくと体が震え、その場にしゃがみ込むしかありませんでした。
「あるある~、最初は仕方ないからね~。」
僕の講師となってくれた成田さんも、傍で見守ってくれている翔も、うんうんと頷く。
しかし僕は過去50年では最高の出来(笑)、実際に1時間もすればすでに立ち上がった
ままの姿勢を保持することが可能になり、3時間もすれば外部からの刺激をある程度は
享受できる状態にまでなっていました。
これはやはり驚異的な早さだとのことです。
そんな風に言われると調子に乗ってしまうのが自分の悪いところ、この状況で1度、
思いっきり高くジャンプをしてみたら……あれ、次の瞬間には脚をぶるぶる震わせながら
床に倒れこんでしまいました。
まだまだ1日目、焦る必要はないとのことでした。

斎藤氏に言われたとおり、僕はその後、驚異的というよりも天文学的なスピードで
この汎用スーツをものにしていきました。
ただ5日かかったのは、斎藤さんの予測通り翔より2日も遅い結果でした。
もちろんそれでも歴代何番目というレベルですが、翔よりも着ぐるみに対する
思い入れが少なかったんじゃないのかと、がっくりもしたものです。
しかしこの驚異的な早さのおかげで、僕は早々と夢にまでみた着ぐるみデビューに
こぎつけることができたのです。

ホビー21が僕の体にフィットするために用意してくれた着ぐるみ……
それはついこの前まで嫉妬と憤懣を剥き出しにしていた対象、
そう、『魔法少女のどか・マジか?』の憧れのキャラ、のどかちゃんでした。
あれ?これは翔のためのキャラじゃなかったのか?
……しかしこののどかは本来、僕のためにホビー21が用意したものだと
伝えられました。
たまたまテストのために翔に演じてもらっていたのですが、ここから先は
紛れもなく僕専用のキャラクターだと。
赤いおかっぱに大きな瞳、愛くるしいその表情……あぁ、僕は生きててよかった、
本当にあの日、故郷を飛び出してきてよかったと思わずにはいられませんでした。
代わりに翔に用意された着ぐるみは同じく『魔法少女のどか・マジか?』の
メインヒロインである1人、ナミちゃんがあてがわれていました。
セピア色にカールを巻いた髪、のどかちゃんよりは大人の雰囲気ながらも、
つぶらな瞳とその笑顔は、僕たちを虜にするには十二分の破壊力です。
翔と同じ楽屋をあてがわれ、2人で仲良くお着替えです。
自分にとっては訓練用の汎用スーツしか着ていなかったために
本番用の、僕のためにあてがわれた着ぐるみを装着することにすでに興奮が
止まりませんでした。
背中のファスナーから体を通し、自分の大切な部分を股間の穴にはめ込み、
姿見様の鏡を確認してみる……そこに映っていたのは紛れもない、
僕が憧れていたのどかちゃん、まさにその子でした。
よくアニメを見ているときに俺の嫁、なんて単語をよく翔と語り合ったりも
していましたが今では違います、そう、俺『が』嫁……すでに体がぎゅっと
締め付けられて体型ものどかちゃんそのものに変貌しています。
体型補正がしっかりしているということは……そうです、もうすでに僕の
下半身ははちきれんばかりに悲鳴を上げ始めていたのです。
裸の状態であるのどかちゃん、そんな状況を僕が中で味わっている……
次にパンツを穿いて下半身が締め付けられるとぶるぶると震え、
衣装に袖を通したときにもぞわぞわと、今にも息子の暴発が起こりそうでした。
僕が1年間も見続けてきた着ぐるみたちはその中でこんな快楽の世界を
味わっていたのかとなると、悔しい感情にも襲われますが、今は僕もその世界を
享受する側、じっくりとその世界を楽しむことにしましょう。

夢のような世界、僕はこのホビー21でのどかちゃんとなって
思う存分、観衆からの羨望の目を味わうとともに、
絶えず体を少し動かすだけでもスーツから伝わる快楽という電気信号のおかげで
君たち観衆と着ぐるみの殻たった1枚を隔てて恍惚の表情を浮かべながら
下半身が性的欲求を受け取っていく。
気持ちいいという言葉だけでこれを表すには言葉が足りない。
大衆に変態を披露しているかのようで、しかし中身は隠されているという優越感、
もう思う存分、ダイレクトな言葉を選ぶが射精してもいいのである。
「わ~、かわいい~♪」
と女子高生に抱き付かれた瞬間、下半身は暴発し、骨を通してブチブチ!と射精音が
僕の耳に伝導してくるかのようだった。
自然な演技を、と思っても少しばかり腰がヒクヒクと動く。
僕は同年代の女の子を皮1枚隔てて凌辱しているかのような、そんな錯覚にも陥った。
でも罪悪感はない、合法的に変態を享受できる、こんな夢のような仕事が
この世の中にあるとは……。
結局、たった3時間のグリーティングの間に4回ものどかちゃんの中で
のどかちゃんとしての名声を浴びつつのどかちゃんとして出していた……
楽屋に戻って、この立場になれたことに改めて興奮と感動をかみしめていた。

さて、いざ脱ごうとしたときに、僕の、いや、のどかちゃんの手を掴んで
待ったをかけてきた子がいた。
のどかちゃんの相方、ナミちゃんである。
中身はあの翔……だが僕の視界に映るのは大人びて、それでいてあどけなさもある
あのナミちゃんだ。
口に手を当てながら僕の、いや、私の目の前で首を傾げる。
何か言いたそうな、そんな感じのそぶり……かわいらしい、
とってもとってもかわいらしい。
でもそれで、私は彼女が何を言おうとしているのかはすぐに察することができた。
そう、もうここには観衆もいない。
彼女の体を舐めまわし、彼女から舐めまわされ……じっくりと快楽の海に
身を沈めることに抵抗はなかった。
僕はのどかちゃん、私はのどかちゃん、君たちには決して渡さない。


[戻る]