『黒人形姫』 [戻る]



 暗闇に、ぽうと明りが灯った。

 古めかしい装飾が施された部屋が、琥珀色の光を浴びて浮かび上がる。
 光は書き物机に置かれたカンテラから注がれていた。実際は、そのようにデザインされた電燈であるらしい。
 部屋の中央には天蓋のある寝台。どの位置で眠るべきか分からないほど大きく、倒れ込んだだけで沈んでいきそうなほど柔らかい。


 目をこらすと、寝台に何者かが座っている。しかし白い薄幕が天蓋より垂れ下がっているため、その足元しか見る事はできない。
 見えるのは、紅いリボンのついた赤い革靴、黒く長いストッキングに覆われた細い足がそろえている所だけ。
 ふいに、寝台を覆っていた霞幕がするすると巻き上げられた。


 寝台に座っていた少女が全身を現わす。
 所々にレースをあしらった、漆黒のワンピース。薄く艶やかな布地を透かし、細身の身体がほのかに浮かぶ。
 細い腰に細い腕、指は止まり木のように寝台のふちを軽くつかんでいる。
 胸は少女らしく薄いが、確実に二つの隆起が存在していた。


 首には逆十字のロザリオをしている。血の滴るようなガーネットが毒々しくも感じるが、少女の無機的な存在感のため、冒涜的な意図は感じられない。
 腰よりも長い黒髪は寝台の上に流れ落ち、渦を巻いていた。黒色の髪止めには、ふちに金の象眼がほどこされている。
 異様に整った顔立ちに、伶俐な表情。白い顔には微かに紅が差す。蒼と茶が入り交じった、奇妙な色の瞳。
 幼い顔立ちだが、どことなく頭身等の比率に奇妙さがあった。


 ……たしかゴシックロリータと呼ぶのだったか。
 少女の磁器のようにきめ細かく白い肌に、黒く透き通る衣装がとてもよく似あう。


 いや、磁器のような肌と呼ぶべきではないだろう。
 少女の白面をよく見れば樹脂製であって、けして人の生肌ではない。
 無表情なのも道理、少女の顔は人形そのものであった。よく見れば瞳も硝子製らしく、人間が持ちない大きさの眼球である。
 奇妙に感じた頭身も、デフォルムされた等身のためだろう。
 肌が覗いているように見えた首筋や手先も布地であり、生命を感じさせる要素はどこにもない。
 まるで、生きたままの姿を保った屍体のようでもある。


 少女人形はけして動こうとせず、床の一点を見下ろしている。
 だが、さらによく目をこらせば……
 わずかに隆起した胸が、微かに上下しているようにも感じられる。
 フリルとやリボンに彩られた衣装の上からではあるが、人形は確かに呼吸をくり返していた。
 しかし顔を見れば確実に人形そのものであり、むろん口も閉じられたまま。小さな呼吸穴一つ見つからない。
 中世のからくり人形には、呼吸しているかのように胸を上下させる仕掛けが施された物が在ったというが……


 からくり仕掛けと示すように、少女人形はかくりと首を上げ、前方を見据えた。
 その視線の先は、壁一面を使った巨大な鏡。
 しばし待つと、人形は静かに寝台から立ち上がった。広がっていたスカートがパニエによって膨らむ。
 少女人形はかかとをそろえた直立姿勢から、一礼する。
 むろん、顔に笑み一つ浮かぶ事はない。ただ、観客に対する礼儀にすぎないのだ。観客がいずこにあるかはさておいて。
 そして少女人形は静かに舞い始めた。


 踊るというよりは舞う、激しさのない軽やかな動き。
 毛の長い絨毯に赤い靴が沈み、それでようやく人形の重さを感じる事ができる。
 少女がくるりと回る度に、柔らかそうなスカートが軽やかに浮き上がる。
 黒いガーターで留められた黒いストッキング。そして一瞬、少女らしからぬふくよかな白い太股が覗く。
 毛髪も羽衣のように軽く、黒々とした日本髪ながら重たげな印象はない。
 少女人形は鏡に自らの姿を写し、それを楽しむように動き、姿勢を変えていく。


 少女は一分ほども舞い、ようやく動きを止めた。
 もちろん布でできた少女の肌は汗一つかかず、清潔に乾いたままだ。樹脂で形作られた顔も苦しげな表情へ変わる事はない。
 しかし呼吸による胸の上下動だけは、もはや誤魔化しようもなくはっきりと分かる。


 少女人形は休む事なく、再び一礼してそのまま次の動作に入った。
 今度は心持ち足を広げて、自らのスカートの端をつまむ。
 しばらくじらすように間を置き、そろそろとワンピースを持ち上げていく。
 黒いスカートがめくれるにつれ、対照的に白いパニエがあらわになる。薄いパニエとそのレース模様の隙間からほっそりとした少女の身体も見え隠れしている。
 そして少女が履いている下着もあらわになった。


 扇情的な黒いストッキングと黒いガーター、それと対照的に清潔な白いローレグライズ。
 あらわと言えども、スカートやパニエのすそが垂れているため、瞬くようにしか見えない。
 それでも少女の股間に繁みはなく、人形らしくのっぺりと何も無いのが分かる。


 少女の顔に羞恥心は浮かんでいない。挑発も情欲もない。あるのは、最初から作られた伶俐さだけ。
 少女は人形の面をかぶり、どこまでも人間らしさを隠そうとしている。


 ついと、何の前触れもなく少女がスカートから手を離した。
 先ほどまで見えていた少女の太股は、ふわりと降りる布地によって覆い被される。
 少女は一礼し、ゆっくりと寝台に戻って腰を下ろした。
 幕開けと同じ姿勢で寝台に沈み、床の一点を見つめて固まる。
 こうして、人形を模した少女、あるいは少女を真似た人形の寸劇は終了した。


 ……しばしの間をもって、拍手がわき起こる。
 少女人形は再び静止して、つい先刻までその頼りなげな足で歩き、舞っていたとはとうてい思えない。
 ただ、鏡の向こうから微かに聞こえる拍手にだけ、ほんの少し肩をゆらせた。


 やがて鏡の裏側からざわめきが起き、席を立つ音が広がる。
 鏡の裏側で楽しんでいた観客は、口々に人形の完成度と操演者の技術を誉めたたえる。
 観客はいずれも高所得者とおぼしき男女で、この淫猥な人形舞台を一つの珍奇な芸として楽しんでいた。
 人形劇が欧州文化を模しているのも、貴族趣味の嗜好に合わせたものにすぎない。
 観客は中世貴族が屍体博覧会を楽しんだのと同じように、この舞台を愉しむ。
 それでも満足していない者は、その足で最も人気の高い人形の所へ行くのだ……


 一方、舞台の上に置かれた時計が柔らかく鐘を鳴らす。
 ……客席から全員が退室し終わる時刻と知り、ようやく少女は肩から力を抜いた。
 肩で息をした人形は、そのまま後方に倒れ込む。長い黒髪が寝台に流れ、河のような模様を描く。
 そして、すぐに自らのスカートをめくる。
 先ほどのような演技ではなく、少女は完全に下着を露出させた。


 ガーターの黒いレースに彩られた、白い太股がまぶしい。
 布で皮膚を完全に覆った上に、さらに下着をしている奇妙な光景ではあるが……
 さらに、股間を覆っているローレグが、ゆっくりと深呼吸をするように膨らみ、縮んでいる。
 それは胸の上下動と同期していた。


 少女は股間に手を伸ばし、ローレグをずり下げた。
 すると少女の股間を覆う布も収縮をくり返し、膨らむと同時に白い湯気を吐き出し始めた。
 よく見れば少女の首筋、後頭部の下にある、面とタイツの隙間からも白い湯気が立ちのぼっている。
 舞台は低目に温度調節がなされているが、それでも長時間の活動では熱がこもるのだ。


 少女はあられもない姿のまま、股間を手で隠しつつも大きく広げる。それに合わせ、もわっと白い蒸気が指の間から立ちのぼる。
 指の隙間から少女の下腹部が覗き、股間からへそにかけて棒状の膨らみが、薄らと浮かんでいるのが見えた。下腹部の膨らみは興奮を示すようにびくびくと脈動を続けている。
 これだけ確認しやすいのは少女らしい細身に見せるため、詰め物を限界まで薄くしたためである。
 ただ、そこに倒錯的で退廃的な美が感じられる人もいるだろう。


 幾度となく深呼吸をくり返して、人形はようやく息を整えた。
 ローレグをきちんと履き直し、スカートを整え、首筋の呼吸穴を閉じる。ただそれだけで、人形は少女らしさを取り戻した。
 寝台に腰掛けたまま上体を起こし、趣味的な内装を眺め、そして鏡に目をやる。
 そこには最初と何ら変わらない、無機的で繊細な少女の人形が腰かけていた。


 了


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